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晋平太 『M.B.H』 から読み解くMCバトルの歴史 ~B-BOY PARK 黎明期編~

晋平太の音源、M.B.H〜MC BATTLE HISTORY〜について解説していきます。M.B.HとはMC BATTLE HISTORYの略称で、B-BOYPARKからジャンルとして定着した(freestyle自体はもともと存在していた)MCバトルの歴史を歌ったものです。

この歌には、特定のバトルや、キーワードなどがちりばめられており、MCバトルというジャンルの流れを理解することができます。またのちのMCバトルの、スポーツ化の問題やUMB問題なども深く理解することができるので必見です。

M.B.H〜MC BATTLE HISTORY〜

2001三連覇のKREVA
から全て始まったとすれば
その土台を作ったKANに般若
本物見分けるファンに感謝パンパンの風船破裂するのは自然さ
それが丁度2003
ラッパーがラッパーを審査 する不自然さ

バトルのなかった2004年
の年のこたもう覚えてねぇけど
ダメレコ、ICEBAHN、MS(C)、韻踏(合組合)
辺りが徐々にundergroundキングにcipher始まるハチ公前
広がった各地あちこちまで

覚えてるぜ種を蒔いたあの日
吹きゃ消えるようなライターあの火おだまりラップ道場 破りstyleで
堂々と始まったUMB
2005年 国技館で復活BBP
歴史的瞬間だった
火山が噴火したんだ
KEN(THE390)もCOMACHIも
みんないたんだ

some time im wonder語られてく名勝負
未だによく聞くHIDA対FORK
PUNPEEでもラップが上手きゃ勝てる
GOCCIがトップに立ってる
今もよく見るDVD 2008年東京予選
エントリーする相当なメンツ
強化されてく即興のセンス

般若の次の時代は荒れる
鎮座は人をイライラさせる
見てるこっちをヒヤヒヤさせては
最後持ってきニヤニヤさせる

はじめの一歩歩んだ皇帝
vs日本最強の童貞
あの瞬間が一つの分岐点
皆感じた空気で
2011はまさに戦国時代
大名は遠慮はしない
ヘッズだったサイプレスが最年長
平成生まれ達はハイテンション

あれから何年経った?
MCバトルはドラマになった
先駆者築く土俵のもとで
時代は次の主役を求め
晋平太から渡ったバトン
Rが握るバトルのハンドル
ENTER 戦極 それから罵倒
誰もが夢見る明日は勝とう
変わってく方向性が
ラップに目覚める高校生が
誰が次のマイクをコントロール
この話には無いぜエンドロール

 

Freestyleの歴史とB-BOY PARKの開始

三連覇のKREVA から全て始まったとすれば

晋平太 M.B.H〜MC BATTLE HISTORY〜

HIP-HOPには『変な争いをするぐらいだったら、スキルで白黒つけようぜ!』という考え方があり、それが即興でスキルを競い合うフリースタイルバトルの始まりであるといわれています。

(ダースレイダー)結局、ヒップホップの中では、『変な争いをするぐらいだったら、スキルで白黒つけようぜ!』っていう考え方があったのが、ようやく日本に定着したっていうか、スタートしたのがB BOY PARKのMCバトルだと思うんですね。

日本のMCバトルの歴史とUMBの未来を語る

日本でもライブ会場などでは突発的なバトルは存在していたといわれていますが、その文化が始めて公の場に現れたのが1999年の「B BOY PARK」のMCバトルでした。

(MC漢)バトルっていう大会が始まる以前から、やっぱ突発的に勃発するバトルっていうのはやっぱある時代だったから。

その時とかはやっぱ、僕らは違うそういう、普通のイベントのオープンマイクとかで、もうバトルになったらバトルもやっていたし。

だから、一応MCバトルっていう行為自体はもう、その時には当たり前に、相手によっては勃発。会場で。どんなイベントだろうがしてたんだけど。

日本のMCバトルの歴史とUMBの未来を語る

「B BOY PARK」開催は1997年。MCバトルは1999年から開始しました。そして開催年、2000年、2001年と3年連続で優勝を果たしたのが、当時KICK THE CAN CREWとしても活動していたKREVAです。

 

この動画にはMC漢の姿もありますね。KREVAの三連覇という偉業は、その後のMCバトルでもキーワードとしてバトル中に発言されることも多いです。

MC KREVA 今日から俺が基準
撤回させてやる それが理由

UMB2014「MC DOTAMA vs R指定」

全国各地に爪痕残したい!
ここで三連覇 KREVAを越したい!

UMB2014「GIL vs R指定」

DOTAMA VS R-指定のバトルでは必ずといっていいほどでてきます(笑)

MC漢 VS 般若 語り継がれるバトル

その土台を作ったKANに般若
本物見分けるファンに感謝

晋平太 M.B.H〜MC BATTLE HISTORY〜

さて当時のフリースタイルは、日本で誕生してまもないこともあり、現在のものと比較すると技術面で発展途上なところがありました。そのスキルをネクストレベルまで引き上げたといわれているのが、KREVAが大会殿堂入り後の翌年、2002年BBPの決勝「KAN VS般若」と言われています。

今までの王者KREVAは小節末で丁寧にハッキリと韻を踏むスタイルをとっており、それは「KREVAスタイル」と呼ばれ、主流のスタイルでした。

しかし2002年の決勝でMC漢は、当時の主流とは正反対ともいえる高速なテンポのなかで要所で韻を踏むスタイルで勝利しました。またそのバトルで般若は、当時の服装や見た目のみをDIS(指摘・批判の意)するMCバトル自体に異議を唱えたバトルであったことからも、重要な分岐点だったといえます。

般若バース(抜粋)
よぉ、どんな感じだよ漢。
これが本当に俺がやりたかったBATTLEってか?

己の価値観だけで上がっていく階段
なぁお前地元新宿、そう俺も確実に韻を踏む。

だけどもよぉ 中身がねぇヤローがよぉ
のさばりやがってよぉ 全然意味がねぇBATTLEだ
そんなのはびこらさすにゃ、訳ねぇ

般若は、服装や意味のない悪口を繰り返す当時のfreestyleの風潮に対し、これが本当にやりたかったスタイルか、ということをKANに問いかけています。バトルというか対話になっていて興味深いです。

KANバース(抜粋)
これが本物と本物
誰が言ったことか確実、着実
でも全然関係ない 着々RHYME書く
CHECK CHECK ワンツー
みてぇな簡単な韻は誰でも踏めんだわ

KANはというと、たたみかけるように韻を踏み、スローテンポなスタイルが主流だった当時をDISります。

般若バース(抜粋)
男と男の勝負にルール
知るかよ馬鹿野郎
言ってやるぜ、英語でFuck you

審査されてるラップは死んだ
審査員、ふざけんじゃねえ、それは勘違い

ラッパーがラッパーに審査させれる不自然な大会の形態を指摘します。このようにバトルの形式を保ちつつ、MCバトルというジャンルの分岐点となるような対話が行われているのです。そしてのちにこれが大きな騒動に結びつきます。

パンパンの風船破裂するのは自然さ
それが丁度2003
ラッパーがラッパーを審査 する不自然さ

晋平太 M.B.H〜MC BATTLE HISTORY〜

今回はここまでとします。次回はB BOY PARKの終焉と観客審査の誕生を紹介します。

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